理数研セミナーから理数研KSEへのご案内
理数研セミナーの原点「一冊だけのテキスト」 理数研セミナー顧問 宮田 敏美
「理数研の数学」の最大の特徴は、1冊だけのテキストを次第にステップアップしながら繰り返し勉強するという「スパイラルシステム」にあります。「理数研セミナー」を始めて45年以上になりますが、開講時の私の初志を端的に表現しますと、テキストと講義を一体化した形での理想的な数学教育というものを追求してみたいということでした。私がそのような志を抱くに至りましたのは、高校や予備校での長年の講師経験を通して、数学の教え方、学び方に大きな疑問を持ったからでした。
最大の疑問は、使用する教材の多さです。高校1年から高校3年までに用いる数学の教科書・参考書・問題集は、夏休みの宿題や塾・予備校のテキストなども含めると20冊を超えるのではないでしょうか。しかし、福沢諭吉らが「適塾」で、ただ1冊しかない辞書の順番を待ち、それを引くために寝食を忘れたという例を挙げるまでもなく、この多すぎる教材が、本来地道にしかやりようのない勉強に役立っているとは到底思えません。むしろ、ほとんどすべての生徒は情報の洪水に溺れ、「自分がどこまで理解していてどこから理解していないか」さえもわからなくなっているのが実情なのです。
大学入試の数学は非常に広範囲にわたっていますが、それでも本当に根本的なことはそれほど多いわけではなく、必要にして十分な内容を1冊のテキストに収めることは可能なのです。ただそのためには、高校数学の全貌を十分把握し、到達目標を明確に定め、それを各学年各学期に割当て、第1ページ目から最後のページまで一切の無駄を省き、しかも大切なことは一つ漏らさず収めるという方針で著されていなければなりません。
テキストと講義の一体化
市販の問題集には入試問題を羅列しただけのものが多いのですが、特に、基礎問題には入試問題をそのまま持って来るなどということはもっての他です。入試問題は所詮試すために作られた問題であり、理解させるために作られた問題ではないからです。そもそも教師は「そこに x という問題があるから、その解法を教える」というのではなく、「X ということを理解させたいから、xという問題を設ける」のでなければならないはずなのです。そのためには、一問一問を教える者自身が創作し、しかもその順序に論理的飛躍を無くすのは勿論のこと、「わかったような気がする」から「わかった」までの感性的な流れまでも考慮して、極めて注意深く配列しなければならないのです。机上でどれほど想を練ろうとも、それだけで理想的なテキストを作ることがいかに不可能なものであるかを、私はいやというほど実感して来ました。或るテーマを理解させるために十分考え尽くしたつもりの一連の問題が、実際に講義してみるとなかなか理解してもらえず、配列あるいは問題そのものを作り直すということなど、始終繰り返してきたことで、長年このようなことを繰り返して練り上げられた「講義と一体化したテキスト」は、他に類のないものと自負しています。
スパイラルシステム
理数研のM/S講座のテキストは、全14章(1~10章:文/理系共通範囲、11~14章:理系範囲)のそれぞれを10節程度に分けてあり、さらに問題をA、B、C、Dにランク分けしてあります。Aは、教科書でいえば導入部分の解説に当たるところで、定義・定理・公式の説明とその使い方を問題形式にして提示しています。Bには、各分野の根幹となる事項を網羅してあり、センター試験はもとより、国公立大学の2次試験の典型問題は楽に解けるようになるような問題を収めてあります。さらに、C・Dには、最難関大学の受験にも十分対応できるレベルの問題を収録してあります。そして、1回目にはテキストのA・Bの解説と演習を行い、最後の章まで終わったら、再び第1章へ戻り、A・Bを復習しながらCの演習へと進み、さらに最後の章まで終わったらA・B・Cを復習しながらDの演習に取り組みます。このようにステップアップしながら何度も繰り返すことから「スパイラルシステム」と呼んでいます。しかもそれを1冊だけのテキストを繰り返すことによって行うという所に注目して欲しいのです。この「理数研のテキスト」1冊をマスターするだけで、高校での数学を履修しなくても、東大・京大理系レベルの入試数学を解ける所まで到達できると断言してはばかりません。
また、当セミナーでは、テキストの解答用紙として専用の統一した「ノート」を用意しています。「スパイラルシステム」を生かすためには、ある章のC・D問題に挑戦する時に、以前学んだその章のA・B問題のノートを見直して復習して欲しいわけです。そのためには時系列のノートではなく、章別に整理できるノート、つまり便箋式に1枚ずつばらばらにしてファイルできるものでなくてはなりません。理数研の専用ノートは、それに最適なように印刷・穴開けをしてあります。要するに、理数研のテキストを完全にマスターしてもらいたいという私の願いの一つの現われと理解して下さい。
独特な解法と正統的な解法
勿論、「理数研の数学」の特徴は、「1冊だけのテキスト」と「専用ノート」という形式的なものだけではありません。いや、そんな形式を遙かに超えた特徴として、様々な問題で、参考書や高校・予備校等では全く学べない「独特な解法」があります。今、「独特な解法」と言いましたが、実は決して「特別な解法」ではなく、「理数研」では、学問としての数学の本質に基づいた「正統的な解法」を心掛けています。それが、高校生だからという言い訳付きの解法や、受験用のテクニックを駆使した解法と比べると、逆に「特別」に見えるのです。また、高校ではほとんど用いられない論理記号を多用するのも「理数研の数学」の大きな特徴です。論理記号を使って推論の過程を明確にすることによって、他の人が見ても論理的に分かり易い答案を書いて欲しいからです。他人に分かり易い答案を書ける人は、自分もよく理解している人なのです。ただ、この「理数研の数学」の内容的な特徴は文章で力説してもなかなか理解してもらえないと思います。過去に「理数研」で学んだ先輩(各界の第一線で活躍している人が多数います)に聞いてみて下さい、と言いたいところですが、その一端は「合格体験記」を見ても分かってもらえると思います。
なお、物理・化学・生物も数学と同様な考え方でテキストを作り、講義を行っております。以上のような趣旨を十分理解していただいた上で、「理数研の数学・理科」に取り組んでみようという意欲と余裕のある諸君の受講を希望しています。
理数研セミナーから理数研KSEへの変革 理数研KSE主宰 梶屋慎一
理数研の数学の内容はとても素晴らしいものだと私には疑いようがありません.しかしながら昨今の生徒にとってその講義内容を十分に吸収できず,上位以外の生徒にとっては厳しい内容になっているようです.残念ながら,それは復習試験結果を見ても明らかです.理数研の講師からすると理数研の講義内容は決して「高度な数学」ではなく「普通の数学」をしているだけなのですがこの乖離は年ごとに広がっているように思います.コロナ禍の今,さらにその傾向が強まっているようで,少しの努力で済むはずなのに,「こんな高度な数学は必要ない」と言って辞めて行く生徒には心が痛みます.
そこで私は2021年の春から理数研西宮北口校を理数研KSEに名称を変えて改革を進めていくことにしました.それは理数研の伝統を崩すものだという指摘もあるのですが,決して内容を易しく変えるつもりはありません.今の理数研数学の内容をいかにして生徒に十分吸収させ理解させるかを最も重要な課題として始めました.
これまで理数研は生徒が理解できないことの理由を生徒側の復習不足の問題であると済ませる傾向がありました.確かにそれは事実ではあるのですが,「生徒が勉強をしないと言うよりはそもそも勉強の方法,仕方を知らないのではないか?」と私は考えてみました.今の生徒は単純な演習は積めても,いかに自分で考えて工夫して解くかと言うところが未熟なままの生徒が多いのです.「それならば,その勉強法を講師が指導すれば良いのではないか?」と考えて,去年から私のM1(数Ⅰ・A)とM2(数Ⅱ・B)の授業では「講義90分+個別演習指導30分」と時間を区切りその日の講義内容をその場で個別に演習指導することにしました.すなわち,授業中に講師の指導による個別指導を組み入れることにしました.
この取り組みを実際に試行してみると,理解力の個人差が見事に露呈しました.不思議なことに今習ったばかりの新鮮な内容を使わずに,すでに自分の知っている以前のやり方で勝手に解こうとする生徒が案外といるのです.それでは,時間もかかり,ついには正答もできずに,新しい発想を使おうしない,その「鈍さ」に驚嘆するばかりでした.
「これが今の学生なのか〜サスガの新人類や〜〜」と嘆いていても仕方ありません.この「鈍さ」をなんとか是正しようとするための個別指導でした.が,思った以上に個人差のある発想,柔軟性のない頭の硬さに驚きつつ,その指導に私はもうアタフタするばかりでした.
「甘くないな〜」と思いつつ,それでも,個別演習指導は正答しないと帰れないシステムですから,徐々に生徒の講義への集中力が増し,どの生徒も一様に理解力が向上していくのを実感しました.すなわち大部分の生徒は指導次第でいくらでも能力は伸びることを確信できました.
この取り組みで思った以上の手応えを感じたため,2021年の4月からは受験生以外のクラスは全クラスを「講義90分+個別演習指導30分」へと移行したいと考えています.この移行を可能とするべく演習のストックを準備しています.ただし,これは良いことばかりではありません.
講義を90分にしたことで,授業進度が遅くなり,講義する問題数が減ってしまうことになります.しかし「多くの疑問」を抱えたまま放置するよりは,「確かな理解」を増やすことの方が大切であると私は考えています.それは「確かな理解」からは自ら学習できる姿勢が生まれるはずで,それによって新しい発想を取り入れ,進化することが最も重要だと思います.
私は,「理数研の伝統を受け継ぎながらも新しいシステムを組み直す」ことを理数研KSEに託し変革する覚悟でいます. Reborn Risuken!